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佐賀家庭裁判所 昭和41年(家)636号 審判

申立人 大田花江

上記代理人弁護士 島崎鋭次郎

相手方 大田一郎

上記代理人弁護士 松下宏

同 吉浦大蔵

主文

相手方は申立人に対し、昭和四三年六月三〇日限り金六四八、三四〇円を支払え。

相手方は、申立人に対し、昭和四二年一二月以降、当事者の婚姻継続かつ別居期間中、毎月末日限り各金四六、三一〇円を支払え。

本件手続費用は、各自の負担とする。

理由

本件申立ての趣旨およびその事情は、別紙記載のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は、つぎのとおりである。

一、当事者の婚姻から現在にいたるまでの事情および現状

本件記録および佐賀地方裁判所昭和四二年(タ)第一七号離婚等請求事件の記録によると、つぎの(1)の(イ)ないし(チ)および(2)の(イ)ないし(ハ)の各事実が認められる。

(1)、(イ) 申立人と相手方とは、昭和二六年一月に見合いをしたうえで婚約し、昭和三〇年二月二三日には、結婚式を挙げ、同年七月一四日には、その婚姻の届出をしたのであったが、当初の当事者夫婦仲は、おおむね円満であって、その後夫婦間には、昭和三〇年一二月一三日には長男一夫が、昭和三三年七月一五日には長女月子がそれぞれあいついで出生した。ちなみに、上記婚姻当時、相手方は、宮崎県立M高等学校定時制を卒業して、すでに株式会社Kに勤務中(現在も勤続)であり、一方申立人は、高知市立○○中学校を卒業して、同校に事務員として勤務していた(婚姻により退職)ものである。

(ロ) ところが、相手方は、昭和三六年頃、申立人らと同居して、延岡市在勤当時、長井文江とねんごろな間柄となり、妻である申立人にいやな思いをさせたことがあったが、さらに昭和三八年頃、同じく申立人らと同居して、鹿児島市在勤中、稲田京子と親交を生じ、昭和三九年一月頃、申立人らを連れて宮崎市へ転勤した後も、その親交を継続し、急に外泊することが多くなったばかりでなく、同年八月にはいってからは、さらにその外泊の度を増し、申立人に対し、あるときには、申立人との婚約当時には数名の女と交際していたとか、また外泊帰りのあるときには、昨夜はダンサーと一しょに泊ったとかなどことさらに申立人の気になることを申し向けたりなどするようになり、しかも、同月二五日頃、夜おそく帰宅した際、申立人に対し、「上記稲田京子は、人のいわゆる妾であるが、金を持っていて、同人と遊んでも、自分の方で金をつかわなくてもよいばかりか、わに皮のバンド、ガスライター、靴下、ネクタイ等いろいろな品物も買ってくれるし、小遣銭もくれる。自分は金も家財もいらないから、高知に帰って、自分とは別居してもらいたい。」という趣旨のことなどをいい出したあげく、同月二八日頃、前夜来の外泊から帰宅した際、女性の体毛とおぼしきものを定期券入れにしまいこんでいたり、申立人に対し、女と関係(情交)したので、身体の具合が悪いなどと勝手なことをいって、薬を手に入れてきたりなどした。それで、申立人としても、もともと相手方の身の廻りのことや勤め先関係等のつきあいには精一杯つくしてきたつもりであったし、またいわゆる世話女房として相手方から頼りにされてきたつもりではあったけれども、相手方がそのような仕打ちに出たので、あれやこれやと思い悩んだ末、同月二九日頃、高知市○○町○番地に住む自分の叔母中田カズエに対し、封書で、以上の事情を打ち明けるとともに、いまの自分の身のふり方としては、相手方とは一応別居し、相手方が悪夢からさめ、反省して、家庭に復帰するのを待つのが最良の策と思われるから、自分ら母子がその間同叔母方に身を寄せるのを許してもらいたい旨書き送り、同月三一日、止むなく、上記二児を連れて、同叔母方に立ちいたり、ここにおいて、当事者夫婦の別居生活が開始されるにいたった。

(ハ) その後、相手方は、昭和四〇年一〇月頃、高知家庭裁判所に対し、申立人を相手方として、離婚の調停の申立てをしたが、この調停は、不成立に終った。もっとも、その調停の際、相手方が上記中田カズエに語ったところによると、その調停申立ては、相手方の真意から出たものではなくして、上記稲田京子から強いられたものであり、相手方としては、しばらくの間申立人と別居して遊ばせてもらうつもりであったということであった(その真偽はおく。)。

(ニ) そこで、申立人は、相手方とはしばらく会ってはいないから、せめて一週間ぐらいは久しぶりに相手方と一しょにすごし、上記二児のことなどをも相手方に話しをして、申立人ら母子を再び相手方と同居させてもらうようにしようと考え、昭和四〇月一二月一〇日頃、当時すでに佐賀市在勤中の相手方を訪ねたところ、相手方が、申立人を旅館に泊らせたうえ、同旅館に知人の島上大吉や実母川本安子(かつて失踪の宣告がなされ、戸籍上はすでに死亡しているように記載されているが、実は生存している。)を同道して、申立人に対し、その申出に応ぜざるをえないような申立人にとっては脅迫的とさえ思える言動で相手方との離婚をせまり、自ら申立人名義、相手方あての誓約書(「今度協議離婚の為に慰藉料として壱百万円也受領しだい相手方一郎とは何んの関係もない事を誓います(そくざに離婚致します)。離婚の際子供長男一夫、長女月子の親権は花江にします。」などの記載がある。)を書いて、これに捺印することを求めてきたので、申立人としても、その場の雰囲気から、ことわりきれずに、不本意ではあったけれども、止むなくこれに一応指印をし、予期に反し一泊しただけで、しかも宿泊料も自分が支払わなければならないような始末で、上記中田カズエ方に追われるようにして帰された。そして、申立人は、立ち戻りはしたものの、もし相手方から上記誓約書にある金員が送られてくれば、本当に離婚届に印鑑を押さなければならないのであろうかと思い悩んだあげく、すでに上記のとおり指印までした以上、好むと好まざるとにかかわらず、どうしてもそうしなければならないことになってしまったのであろうとなかば思いあきらめていたが、上記の支払いが履行されなかったので、かえって離婚はしなくてもよいと安心し、ますます相手方との婚姻継続の意思をかためて、その相手方に対する昭和四一年二月一八日付の手紙では、「私は割払いどころか一時払いでも離婚する気持はありませんので、どうぞ末永く宜敷くお願い致します。又今後も時々御様子を伺いに行きますので、旅館で一人泊まらしたりなどしないで下さい。」などと書き送った。

(ホ) ところが、相手方は、昭和四一年七月上旬頃、再び申立人を相手方として、前同裁判所に対し、離婚の調停の申立てをしたが、その調停は、相手方が一度も期日に出頭しなかったため、不調に終った。

(ヘ) そして、申立人は、上記中田カズエおよび二児らと同居しながら、昭和四〇年一月二七日以降、有限会社Yから雇われて、高知市○○内の上記会社の経営する食堂喫茶部で働き、相手方の家庭復帰に一るの希望をいだいて、そればかりを楽しみにしていた。

(ト) ところが、相手方は、申立人の期待に反し、昭和四二年九月一八日、申立人を被告として、佐賀地方裁判所に対し、離婚等請求の訴えを提起して(同裁判所同年(タ)第一七号)、相手方と申立人との離婚の裁判、上記二子の親権者として相手方の指定および慰藉料金五〇万円の支払いなどを求め、その第一回口頭弁論期日は、延期されたが、第二回のそれである同年一一月八日は、口頭弁論がなされ、第三回口頭弁論期日は、昭和四三年二月七日午後一時と指定されている。同事件において、相手方が法律上の離婚原因として主張するところのものは、民法第七七〇条第一項第五号所定のそれである。しかし、申立人と相手方との別居にいたるまでの経過およびその後の事情は、上記のとおりである。

(チ) しこうして、申立人の同居ならびに勤務状況は、現在も、上記のとおりである。また上記二子は、ともに現在高知市立○○小学校の小学生、長男は六年生、長女は三年生であって、病気をしたことはあるが、通院治療程度で、入院までしたことはない。そして、上記二子は、いずれも、放課後は学習塾に通っていたが、少くとも昭和四二年二月以降は、申立人の側の負担過重のため、それが中絶されている。なお上記中田カズエは、預金もあって、一人暮しなら生活できないことはない状況にあり、べつに申立人から経済上の生活の面倒をみてもらわなければならない事情にあるものではないばかりでなく、下記のとおり、現に申立人ら母子に対する生活費や医療費上の債権を有している。

(2)、(イ) 申立人が上記の別居の話しが出て以来相手方から受領した金員の総額は、申立人の計算によると、金七八八、〇〇〇円(昭和四〇年一二月の金二〇万円が最後。これと昭和三九年八月の金二〇万円との合算額をその額面金額とする領収書――これは、相手方の要請によって作成された――が乙第二号証)というのであり、一方相手方の計算によると、金一、〇二三、〇〇〇円(最後のそれが、昭和四〇年一二月の金二〇万円であったことについては、当事者ともに一致している。)となるということである。しかし、いずれにしても、これらの金員は、別居のための旅費、荷物運搬料、別居後の申立人方の生活費、教育費(保育園関係を含む)、医療費、相手方との面談のための旅費、宿泊料その他の必要費に費消されて、昭和四一年八月頃(申立人は、本件申立てにおいて、昭和四一年一〇月以降の支払いを求めているのであるから、それ以前のことである。)には、すでにその残はない。なお、上記別居の際の当事者間のおおよその話合いでは、相手方の申立人に対する生活費等の毎月送金額は、相手方のその月の総収入の半額程度ということにされていた。

(ロ) 申立人の昭和四一年中の上記有限会社Yからの賃金収入総額は、金一五二、六一六円(源泉徴収税額、失業保険料、厚生費を差し引いた額。したがって、その平均月額が金一二、七一八円となることは、計算上明白である。)であったところ、申立人の計算によると、同年中の申立人方の生活費等の支出総額は、金四七九、八三五円(したがって、その平均月額が金三九、九八六円――一円未満切捨て――となることは、これまた計算上明らかである。)、同年一〇月一ヶ月分のそれは、金四四、一七五円、同年一一月一ヶ月分のそれは、金三九、八四八円、同年一二月一ヶ月分のそれは、金四一、九一九円、昭和四二年二月一ヶ月分(したがって、二八日間)のそれは、金四一、四一二円(前年における家賃月額金一、二〇〇円が金三、〇〇〇円に値上げされている。もっともその代りに前年における学習塾に対する月謝金一、九〇〇円が、同学習中止のため――上記のとおりである――計上されていない。)となるということであるが、申立人の上記別居後の生活費、医療費等の捻出のための現存負債総額は、金一一万円(上記中田カズエに対し金七万円、申立人の母松野アキに対し金四万円)である。

(ハ) 一方、相手方の昭和四一年中の上記株式会社Kからの給料、手当、賞与等総所得額は、金一、三六五、四六〇円であったところ、これから控除されたものの年額は、所得税金九九、七七〇円、社会保険(年金保険、健康保険、失業保険)料金五四、七〇九円、生命保険料金三六、八〇〇円、厚生会費金二、七三六円(月額金二二八円)、組合費金一〇、八〇〇円(月額金九〇〇円)、住民税少くとも金四九、二〇〇円(昭和四一年一月から同年三月までと同年六月――四月と五月は住民税を控除されない――から同年一二月までの一〇ヶ月間月額金四、九二〇円、もっとも、年額を各月で割るが、各月同額とした。)であった(したがって、これらを控除した相手方の昭和四一年における平均手取月額は、金九二、六二〇円――一円未満切捨て――となることが計算上明白である。)。そして、相手方の昭和四一年四月から昭和四二年三月までの一年間の生活費の平均月額は、相手方の計算によると、金六七、四三七円であったということであり、ほかに中元、歳暮贈答費として金三万円があったというのである。

二、婚姻費用の分担

(1)  まず、上記一の事実関係にもとづき、相手方が申立人に対して婚姻費用を負担しなければならない義務を有しているかどうかについて考えてみよう。相手方が株式会社Kに勤務して、昭和四一年中の平均月収金九二、六二〇円を得、現在佐賀市に居住していること、申立人が相手方との間の長男一夫(昭和三〇年一二月一三日生)、長女月子(昭和三三年七月一五日生)の二子をかかえ、昭和三九年八月三一日以降相手方とは別居して、高知市に住み、有限会社Yから昭和四一年中の平均月収金一二、七一八円を得ているにすぎないこと、当事者の別居が相手方の要請および責めにもとづいてなされたものであったことは、いずれも上記認定のとおりであるところ、当事者が現に法律上の夫婦であること、長男一夫、長女月子がいずれも当事者間の子であること、および当事者の別居が相手方の要請ならびに責めにもとづいてなされたものであったこと、以上いずれも上記のとおりである以上、当事者が別居しているからといって、相手方が月額九二、六二〇円の生活をし、申立人らが月額一二、七一八円の生活で甘んじなければならないいわれのないことはいうまでもなく、しかも、月額金一二、七一八円は、申立人ら母子三名が相手方の妻子としての体面を保ちながら生活するのに不足する金額であることもまた明らかなところであるから、相手方は、申立人に対し、婚姻費用の分担として、申立人ら母子三名の生活費等の不足分を補う義務があるものといわざるを得ない。もっとも、当事者の別居により、その額は、同居の場合のそれにくらべて、より多額になることではあろうが、これとても、当事者の別居が相手方の要請および責めによったものであること、上記のとおりである以上、相手方が予期していたか、もしくは当然に予期していなければならなかったはずのものであるから、相手方において甘受しなければならない筋合いのものであることは、これまた多言を要しないところである。

(2)  そこで同一の事実関係にもとづき、その額について考えてみる。

申立人の生活費等の支出額は、申立人の主張するところによると、昭和四一年中の平均月額が金三九、九八六円、同年一〇月分が金四四、一七五円、同年一一月分が金三九、八四八円、同年一二月分が金四一、九一九円、昭和四二年二月分が金四一、四一二円であったというのであり、一方相手方のそれは、相手方の主張するところによると、昭和四一年四月から昭和四二年三月までの一年間の平均月額が金六七、四三七円であり、ほかに中元、歳暮贈答費として金三万円があったというのであることは、上記のとおりであるところ、仮りにその各支出額がいずれも事実であったとしても、当事者間の婚姻費用の分担の額または比率をそれにしたがって決しなければならないものではないことはいうまでもない。けだし、夫婦は同居していると、別居しているとを問わず、互いに同じ程度の生活を保持できるようにする義務があるとともに、年令上独立した生計を維持し得ない子に対しても、夫婦と同程度の生活をさせなければならない義務を負うものというべきであるところ、夫と妻子別居の一家において、その一方が、しかも別居の責めを有する夫の方がぜいたくな暮しをし(申立人のそれはともかく、相手方主張の上記支出額は、相手方の、しかも単独の生活費としては、その内訳額等からして、必ずしも相応なものとなすことはできない。)、他の一方が子をかかえて、きりつめた生活をした(申立人が金一一万円の負債を有することは、上記のとおりである。)ということもあり得る以上、上記の各支出額の事跡があったからといって、これをもって、よしとしなければならない道理はさらさらないからである。したがって、当事者主張の上記各支出額は、これをもって直ちに当事者間の婚姻費用の分担額の基準とするに由ないものとしなければならないものであるというほかない。かくして、本件のような場合においては、当事者および当事者間の子の各生活費の算定は、労働科学研究所編の「綜合消費単位表」によるのが合理的であるというに帰着するところ、上記認定事実に同表を照らしてみると、各人の消費単位は、申立人を九五、相手方を一四五、長男を六〇、長女を五五とそれぞれするのを相当とするから、上記の申立人の平均月収額金一二、七一八円と相手方のそれである金九二、六二〇円との合算額であることが計算上明らかな金一〇五、三三八円を基本とし、上記の各人別消費単位によって算定すると、別表記載のとおり、申立人と長男と長女の各生活費月額の合算額は、金六二、一七〇円となることが計算上明白である。したがって、この金六二、一七〇円から申立人の上記平均月収額金一二、七一八円を控除した額であることが計算上明らかな金四九、四五二円が、相手方の申立人および上記子らに生活費として支給しなければならない月額となるということができる。

しかし、本件において、申立人は、本件調停の申立てをした昭和四一年一〇月以降相手方からせめてその月収の二分の一程度の生活費を払ってもらいたいと主張しているのである。そして、申立人のいう相手方の月収の二分の一とは、相手方の給料、手当、賞与等総所得額の二分の一というのではなくして、これから所得税、社会保険料その他相手方の全く個人的な事由によらずして当然に控除されるものを差し引いた額、すなわち通常の手取額の二分の一の金額をいうものであることが明らかであり、またその程度にとどめる支払いを求める理由も、申立人において相手方との婚姻の継続および同居を望んでいること上記のとおりである以上、相手方との婚姻関係を一層破局に追いこむことのないよう相手方の立場をも充分に考慮したうえで、多くは望まない、その程度で我慢し、きりつめた生活をするという妻らしい気持から出たものであることがうかがわれる(この気持は、本件においては、そのままうけいれられなければならない。)ところ、相手方のその意味における平均手取月収額が金九二、六二〇円であったことは、上記のとおりであるから、その半額は、金四六、三一〇円となることが計算上明白である。もつとも、申立人は、月額金五万円を主張しているのであるが、これは、上記の意味の相手方の手取年収額が金一二〇万円(その月額の二分の一の額が金五万円となることは、計算上明白である。)をこえるものと誤算したうえでのことであろうから、その平均手取月収額金九二、六二〇円が明らかにされたこと上記のとおりである以上、申立人においては、その二分の一の額の支払いを求める真意であることは、上記のところからして、おのずから明白である。したがって、相手方が昭和四一年一〇月以降申立人および上記子らに対し生活費として毎月支給しなければならない金額は、結局、金四六、三一〇円となるということができる。

そうすると、昭和四一年一〇月以降昭和四二年一一月分までの上記生活費月額金四六、三一〇円の一四ヶ月分は、すでにその履行期を経過していて、その合算額は金六四八、三四〇円となることが計算上明白であるが、その全額の一時払いという相手方の履行上の便宜をも考慮して、相手方において、これを昭和四三年六月三〇日限り申立人に支払うべく、さらに昭和四二年一二月以降当事者の婚姻継続中かつ別居期間中の分は、相手方が給料生活者であることにかんがみ、相手方において、毎月末日限り、その月分金四六、三一〇円を申立人にそれぞれ支払うべきものと定めるのが相当である。

三、それで、本件手続費用は、各自に負担させることとして、主文のとおり審判する。

(家事審判官 桑原宗朝)

〈以下省略〉

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